「寒いね」と話しかければ
「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ
ご存じの方も多いか思いますが、現代歌人俵万智さんの歌集『サラダ記念日』の中の一首です。
毎年冬になるとなんとはなしにこの歌が頭に浮かんできます。
「答える人」とは恋人なのか、家族なのかそれともたまたま隣合わせた人なのか。
いずれにしても自分が言った言葉に対して
「そうだね」というただの共感。
たったそんなことが自分の心を温めてくれるのですね。
最近、女性がホストにハマってしまういわゆる「ホス狂い」がよく報道されてます。
売掛金などによって、人生を狂わされた女性の報道に接すると私も胸が痛みます。
正直に言いますと、今まではハマってしまう女性の方の心情をあまり理解出来ませんでした。
ただ、報道を見ていくうちに(ハマる事を肯定はもちろん出来ませんが)
ハマってしまう方々の気持ちがなんとなく分かるような気がしてくるのです。
中にはかなり悪どいことをする人もいるのでしょう。
「ホストの人って、私のこと絶対否定しないんだよね」
と言っていたのが印象的でした。
相手に対して、否定はもちろんお説教も皮肉も奮起を促すこともない
「純粋なるただの共感」
それを聞いて「あぁ、そういう事なのか」と私は感じ入ったのです。
よくよく考えますと私達の現実社会で相手、とりわけ異性から「純粋なただの共感」をもらえることって結構希少です。
「そう?俺は(私は)そうは思わないけど」
「ちょっと寒がりなんじゃない?」
「気合いが足りない!」
みたいなかたちで返されることがなんと多いことか!
ただ「そうだね」という一言。
この一言が身体を心をポッと温めてくれるのに、と思ってしまいます。
「ホス狂い」の女性の方々に「寒いね」と答えてくれる家族やパートナーがいたらどうだったのだろう、果たしてそれでも「ホス狂い」になったのだろうか、と思ってしまうのです。
☆
話は冒頭の短歌に戻りますが、「寂しさ」を歌った元祖歌人は私の中では石川啄木です。
ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく
耐え難いほどの寂しさを感じた啄木が上野駅でたたずんでいる情景。
何となくのイメージですが、やはりこの寒い年末の時期のような気がします。
ちなみに啄木も異性に散財に散財を重ねた人です。
薄幸で早世した啄木の隣にただ「寒いね」と答えてくれる人はいたのかな、いてくれたらいいな、と思います。
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