恥と感動
「恥の多い生涯を送って来ました。」
とはあの太宰治『人間失格(第一の手記)』の有名な書き出しです。
もうだいぶ前に読んだ本なのですが、
年をとるにつれ、ことあるごとに思い出される言葉です。
よく本なんかで
「恥ずかしい体験は恐れてはいけない。何事もトライだ。」
という内容を目にしますが
若い時はともかく年を経るにしたがって、
いかにそれが難しいかを感じています。
「いかに人様から恥ずかしくないようにみられるか」
を行動の選択基準にしている自分に気が付くのです。
そしてたまに恥ずかしいことをしでかしてしまったときは、
数日、場合によっては一週間以上、いや一か月近く
そのときのことを思い出しては顔から火が出るような
感情にとらわれるときがあります。
ただ、だからこそなのでしょうか。
「恥ずかしい自分を見せてくれた人」
に対して、無意識にリスペクトしている自分に気が付きます。
(もちろん程度と内容によりますが)
こういったは感情は、私だけではなく
ある女友達が複数の結婚相手候補から今のご主人を選んだ理由として、
「私のためにプライドを捨ててくれた。」
というような意味を言ったことは強く印象に残ってます。
彼女とご主人にどんなドラマがあったか想像するしかないのですが、
ご主人は決して人には言えない「とっても恥ずかしい自分」を彼女に見せたに違いありません。
恥をかくことを覚悟している人は、人間として不思議なすごみを感じます。
例えばお笑い芸人。
たまにあっと驚く美人女優と結婚するでは
ないですか。
恥って誰もがかきたくないもの。
だからこそ、それを乗り越える姿がとても強い感動を人に与えるのかもしれません。
「恥の多い生涯を送ってきました。」
だからこそあなたはこれほどまでに愛されているんですね!。太宰さん!
婚活するすべての方が良いご縁に繋がりますように☆
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